にこにこ顔で いる 練習

どうで あれば シンプルである ことの
ゆたかさを 感じられるのか
という テーマを もらっちゃったんだけど

にこにこ顔で いれば いいんだと
おれは 思うんだよな

なにかを 求めて 必死に なってたり すると
にこにこ顔も してられないけど
求めることを やめちゃえば いいんだ

求めるって いうことは
なにかが 不足してると 思ってる わけだけど
その 不足してるって いう 思いは
ほんとう なのかなあ

世の中の 常識に あわせて
そう お思っちゃうんだけど
ほんとうは 必要ない ものが ほとんど
なんじゃ ないかなあ

学歴とか 美人の おくさん とか
豪邸とか フェラーリの新車 とか

その 常識から はなれるって いう ことが
シンプルを もとめる 気持ちなんだろうな

不足してるのは
よのなかの 常識から はなれる きもち
シンプルを もとめる 気持ち なんだよな

シンプルで ある ことの きもちよさは
だれでも わかってるんだけど
なにかを 求める きもちを
いつも いつも 刺激されっぱなしに なってて
いつも いつも 必死に なってなきゃ いけない
というのが 悲しい現実に
なっちゃってるんだ

だから シンプルを 求める のは
けっこう たいへん なんだよな

だけど ものすごい うまい 手が あるんだ
それが にこにこ顔で いること
にこにこ顔で いれば
必死には なれないからね

そして 必死になにかを もとめる
思いこみ から はなれることが できる
そうすれば シンプルの きもちよさを 思いだせる
という わけなんだよ

いま おれは にこにこ顔で いる
練習中 なんだけど
こころから にこにこに なれなくても
顔つき だけは にこにこ顔に してよう
なんてね

シンプルで いることの きもちよさは
だれでも 知ってるんだけど
それは つまるところ
自分を みがるに すれば
無限のゆたかさと つながることが できる
という ことなんじゃ ないかな

ためるな すてろ
ふやすな へらせ
と よく 言われるけど
身のまわりに いろいろ ためこんじゃうと
もっと もっと ためないと 不安に なり
ためこんだ ものを 守る ために また ふあんに なり
という ことで 中毒症状みたいに
なって にっちも さっちも いかなくなる

シンプルで いれば
じぶんを みがるに していれば
まわりの世界の ゆたかさが 見えてくるんだ
そして その ゆたかさと つながることが できる
その つもりで いれば ね

昭和の初めころ までは
日本中のひとたちが
シンプルに 暮らして
まわりの 世界の ゆたかさを
我がことのようにして 楽しんでいたんだと
思うんだ
そして にこにこ顔で いたんだと 思うんだよな

そんな ことを 思いながら
にこにこ顔で いる 練習を してるんだよ

世界は 無限の ゆたかさで 満ちている
その 無限の ゆたかさを 見ようとすれば
いまの おれたちにも 見えるんじゃ ないかなあ

それを やって みたいんだよな おれは
無限の ゆたかさと つながって みたいんだ
それが シンプルって いうこと
たぶん できるんだと 思う おれなりに ね
あんがい 簡単かも しれない
まずは にこにこ顔で いることから
なんて 思ってるんだよな

(この 記事は ひらがな だけで 書いた
文章を 漢字交じりに 書き直したものです。
http://hirakehibike.wordpress.com/
に 原文があります。)

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